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悲しい別離「秀吉チルドレンそれぞれの正義」感想

2016/09/09



2016年5月6日(金)午前8時15分から放送された「真田丸第二幕 “秀吉チルドレン”それぞれの正義」ご覧になりましたか?加藤清正と石田三成を中心にそれぞれの“秀吉チルドレン”の人生を追った番組です。

 

「真田丸第二幕 “秀吉チルドレン”それぞれの正義」の感想です。

 

秀吉子飼いの武将といわれる、真田丸でも登場する、加藤清正、福島正則、石田三成、大谷吉継、片桐且元。真田丸大坂編では信繁の上司、少し年上の兄貴分として登場する武将達。

 

一枚岩でなければならなかった「秀吉チルドレン」が後年、袂を分かち関が原の戦いで争い、その対立が豊臣滅亡のきっかけを作りました。とても悲しい事ですよね。

 

真田丸では加藤清正が気軽に石田邸を訪れ、お酒を飲み、

 

清正:「殿にはいくつになっても俺たちと
野山を駆け巡ってないと駄目なんだよっ」
なんて言いながらその場で寝ちゃう(笑)石田三成と加藤清正のやりとりが微笑ましくて、後年の対立を知っている人にはせつないシーンでした。

 

加藤清正役の新井浩文さんがその話を、石田三成役の山本耕史さんとの番組内での対話で話題にされていて。 ネットで歴史に詳しい人達が清正と三成の会話が感慨深いと話していると。
新井さん:「最初は仲が良かったはずだと」
石田さん:「史実では対立関係になるが、とてもお互いを思っていた。(シーンで表現されていた)」と。

 

少年の頃からの仲間ですものね。

 

秀吉チルドレンの生誕の年を並べてみました。
加藤清正 永禄5年(1562年)
福島正則 永禄4年(1561年)
石田三成 永禄3年(1560年)
大谷吉継 永禄2年(1559年)
片桐且元 弘治2年(1556年)

 

片桐且元は少し上ですが、ほぼ同世代。
ちなみに信繁は永禄10年、1567年生まれです。

 

秀吉は天正元年(1573年)、城持ち大名になりました。領地は近江の国旧浅井家領地。地名を今浜から長浜に変え、長浜城作りと城下町作りに励みますが、同時期この長浜時代に気に入った少年達を武将にするべく育てていきます。

 

浅井の旧家臣や近江の土豪の子弟、自分の親戚筋から集めた少年達。百姓上がりで先祖からの家臣もおらず、子供もいなかった秀吉は有望な若者を積極的に登用しました。

 

清正、三成ら秀吉チルドレン達の長浜での暮らしぶりがどんな風だったか興味深いですね。番組では長浜天守閣から下を見て、家臣団の屋敷跡があの辺りで、そこに恐らく子飼いの三成や清正達が一緒に狭いところで住んでいたのではないかと、長浜城歴史博物館館長さんがおっしゃっていました。

 

みんなで武芸の稽古をしたり、算術を励んだりしたのでしょうか?黒田官兵衛の息子、のちの黒田長政もこの頃人質として長浜城に居住しているので、時には一緒に稽古したり、寧(ねい)様に料理を振舞われたりしたのでしょうか?長政は永禄11年(1568年) 生まれなので信繁や茶々と同世代ですね。

 

番組の後半では石田三成役の山本耕史さん、片桐且元役の小林隆さん、豊臣秀次役の新納慎也さんが佐賀県の唐津にあった名護屋城へ。秀吉が朝鮮出兵、引いては明に攻め込むために築城した城ですが、すごい規模だったんですね。

 

当時、大阪城に次ぐ規模の名護屋城には金の茶室まであったとか。周りには諸大名の陣屋が沢山建てられ、最盛期には10万人を超えるほどの人口となり、唐入りの期間は日本の政治の中心であったという・・。

 

唐入りっていう言い方をしますが唐(中国)に入ってないですけどね(汗)

 

清正は最前線の指揮を任され、苦労に苦労を重ねていましたが、戦況が厳しくなったおり、石田三成が朝鮮に入り現地視察した時に戦の継続は難しいと講和政策を主張、秀吉を説得する為、清正たちの行動を否定的に報告したそうです。それに激怒した現地の武将達。秀吉チルドレンに亀裂が生じます。

 

「唐入り」は豊臣秀吉が亡くなった事で中止になりますが、三成と武闘派の武将達の対立は収まらず、関が原で西軍、東軍に分かれる事に。
なんか変ですね。秀吉子飼いの武将達は豊臣家の繁栄を願っていたはずなのに、どうしてこんな事になったのでしょうね?秀吉チルドレンが一枚岩なら、家康くんが天下を狙う立場にならなかったはず。
武闘派の武将達はなぜ家康側についたのでしょうね?秀吉が亡くなった後、石田三成宅を襲撃し、討ち取ろうとする事件まで発生しました。徳川家康より仲介を受けて石田三成は隠居し、自分の領地である佐和山城に蟄居同然の生活をさせられました。 家康宅を襲撃した加藤清正、福島正則、細川忠興、浅野幸長、黒田長政、蜂須賀家政、藤堂高虎ら7人の武将は一年半後の関が原の戦いではみな東軍について主力として戦いました。

 

なんか変ですよね?私はこのあたりどうも家康くんに、みんなが操られている気がするのですが・・ このあたり、真田丸ではどの様に見せてくれるのでしょうか?

 

最後に山本耕史さんと新井浩文さんは「お互いの正義がぶつかったのではないか?」とお話されています。そしてまだ脚本を受け取ってないのでどうなるかお二人もわからないとのこと、視聴者と同じ立場だそう(笑)真田丸で今後どの様に描かれていくのか楽しみですね。

 


ところで名護屋城のある唐津には2年ほど前、立ち寄っているのに名護屋城には行きませんでした。佐賀県唐津の呼子名物「活イカ」は食べました(;´∀`)唐津港から船に乗り壱岐には行きましたが・・今度は名護屋城をメインに行きたいと思います。佐賀は吉野ヶ里遺跡もありますし、途中大宰府で国立博物館も見たいですね。ビバ九州!

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⇒ 真田丸登場人物&キャスト紹介

最後までお読み頂きありがとうございました。

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