細川ガラシャ最後の地、玉造教会
次はカトリック玉造教会(たまつくりきょうかい)へ。
カトリック玉造教会周辺は豊臣時代は大名屋敷が立ち並んでいました。大名屋敷に住んでいた豊臣恩顧の大名達が1600年の関が原の戦い以降、東軍の徳川側に寝返り、1614年からの大坂の陣では堀の外に陣を構えました。
不思議な感じですね。大坂冬の陣は大寒波が襲来してすごく寒かったそうです。堀の外の徳川軍の兵たちは兵糧も豊臣に買い占められ寒さに凍えながら豊臣軍と戦ったそうです。
真田丸跡地からカトリック玉造教会まで15分ほど。ほぼ真っ直ぐ南から北へ。心眼寺坂では少しの間下り坂でしたが、またずっと上り坂。しかしずっと妄想しながら歩いているので苦ではない(苦笑)
大阪冬の陣図
画像提供:玉造稲荷神社
現在、玉造稲荷神社の西250メートル辺りが玉造教会となっています。地図には書かれていませんが、玉造稲荷神社周辺には細川忠興、前田利家、宇喜多秀家、島津家久などの大名屋敷がありました。
外堀の内側は昔は大坂城の中ですよね。今でもセレブエリア!だと思いますが「うちの家、お堀の中にあるのよ、おほほ」という自慢は聞いたことがありません。私なら自慢したいところですが(;・∀・)その自慢は歴史好きの人にしかわからないかもですね。
カトリック玉造教会です
向かって左側が高山右近像
高山右近さん、残念ながら真田丸には登場しないみたいですね。
2015年が高山右近没後400年にあたり、日本のカトリック中央協議会がユスト高山右近の列福を申請しまして、教皇フランシスコが高山右近の福者を承認されました。枢機卿をお呼びしての列福式を2017年2月7日に行うそうです。会場は大阪城ホール。1万人収容できる大きい会場ですね。一般人も参加できる様なので興味のある方はお調べ下さい。「高山右近 列福式」。
向かって右側が細川ガラシャ像です
細川ガラシャは明智光秀の娘として生まれ、細川忠興に嫁ぎました。名前は玉。関が原の戦いの際に石田三成が大名の妻子達を人質として大坂城中に引き入れようとしましたが、細川ガラシャは拒絶しこの地で亡くなりました。
向かって右側、さらに右が駐車場になっていましてここが細川ガラシャが亡くなった場所とされています。
教会の中は綺麗なステンドグラスに彩られ、またイエス・キリスト像や十字架、高山右近や細川ガラシャが描かれた絵画など拝見出来ますが、厳粛な祈りの場ですので静かに敬意を持って訪れて下さい。
足を踏み入れると魂が清められるような感覚があります。日曜日のミサはどなたでも参加して良いそうなので、ミサに参加してパイプオルガンと賛美歌の清廉された場を一度体験されるのも良いかもしれません。
細川屋敷の台所井戸があったとされる「越中井」
越中井は玉造教会の西北にあります。
玉造教会から越中公園、越中井を越え大坂城内堀に向かいます。内堀から西へ次の目的地は大阪歴史博物館です。
大阪歴史博物館は何度も訪れていますが、今回の目的は「真田丸展」です!
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(頑張ったら一日で全部廻れるよ♪)