春と伊達政宗が?いやいや・・
真田丸49話「前夜」にて真田幸村の正室・春(はる)と娘・お梅、大八を預かった伊達政宗。男同士の美しい友情、真田と伊達の密約・・伊達政宗の株バク上げの瞬間・・!
ところが!!
目次
春と伊達政宗の関係を怪しむ声が
「んで、春は伊達政宗の側室になるの?」と春と伊達政宗(キャスト:長谷川朝晴さん)の関係を怪しむ声をネット上で見てビックリΣ
春ちゃんにずんだを勧めて「えっ?」と聞き返された時、政宗さんがボソッと「ずんだ」と呟くのがツボった
(最終回目前でずんだもち)#真田丸 pic.twitter.com/CHQoOfAeY8
— akir (@arien0727) 2016年12月11日
いやいやいや・・それじゃ、伊達政宗台無しでしょ。ずんだ餅もお梅と大八の為ですよ?良いおじさんナンダヨー(苦笑)それじゃ伊達陸奥守政宗台無し(笑)
「そなたたちの身の上は儂が一命に懸けて預かった」
なんてかっこよくキメておられますが、真田の妻子が来るって聞いてちゃんとずんだ味見して待ってて「早速だがずんだお食べ」って甘くて柔らかい一口サイズのお餅で不安そうな春ちゃんと梅ちゃん安心させる政宗公マジずんだの妖精。#真田丸 pic.twitter.com/RNSbHbRESW— かおる@真田兄弟推し (@sakyo_asc) 2016年12月11日
確かに春ちゃんは真田幸村(信繁)に若い時に嫁いだおさな妻だったのでまだ若く可愛い。大助とは姉弟みたいでしたよね。大谷吉継の娘であり、真田幸村の正室春(竹林院)を演じたのは女優の松岡茉優(まつおかまゆ)さん♪
本日の春様〜。
写メの画像加工してみましたー#真田丸#松岡茉優 #まゆらー会(仮) pic.twitter.com/3aJzQP0j5N— 三有紀@まゆらー(仮) SSC (@82miyu29) 2016年11月13日
年を経た伊達政宗は大変男ぶりがあがりましたよね。そりゃ私なら真田幸村亡き後、伊達政宗に行っちゃうかも(;・∀・)ユルシテアナター・
実は史実では
実は真田幸村の正室の春(竹林院)さんは史実では伊達政宗領地には行っていないのです。
史実は諸説あるので何百年前のことで正確な事はわからないのですが、春さんが伊達領、重臣・片倉小十郎の領地である白石領に行っていない事は確かなようです。
春さんは真田幸村の娘「7女のおかね」の夫・もしくは舅の、石川 貞清(いしかわ さだきよ)に庇護され、どうやら京都で一生を終えたようです。石川 貞清は真田幸村の縁者にもあたります。
7女のおかねちゃん、真田丸に出てきませんでしたね(;´∀`)
真田幸村(信繁)のお子様の件は真田丸はパラレルワールド(並行世界)で、正室・春ちゃんの嫉妬深さの為に、「側室のたか」からも「きりちゃん」からもお子ちゃまが生まれなかった違う時空のお話だと解釈しておりますw
お梅(阿梅)はきりちゃん・・高梨内記の娘の子という説のほうが有力だと思っています。
片倉重長に嫁いだお梅
伊達政宗のずんだ餅主従、重臣・片倉小十郎景綱には片倉重長(片倉重綱)という嫡男がいます。真田丸では出てこなかった片倉重長(かたくら しげなが)。
本当は大坂夏の陣に出陣していて、「徳川兵に真の武士は、一人もおらんのかあ!」の時には現場にいたようですよ、大坂夏の陣での活躍で「鬼の小十郎」という異名がついたので。のちに片倉重長の妻(継室)となるお梅。
☆妻(継室)になった経緯は
・阿梅は父である真田幸村が伊達政宗に託した説と
・大坂城落城の折に片倉重長の家来に乱取りされ(連れ去り事件)侍女として仕えていたのがあとで幸村の娘と発覚した
とふたつの説が有力な様です。乱取りの説だとロマンがないな・・
お梅は真田幸村の姉である村松殿(真田丸でいえば松姉さん)の夫・小山田茂誠さんが一旦養女として片倉家に嫁いだそうです。松姉、茂誠さんの愛情が感じられる~・・
お梅は片倉重長の継室として白石城下(現在の宮城県白石市)に住み一生を終えました。片倉家の菩提寺・当信寺(とうしんじ)にお墓があります。
大八は石が当たって亡くなった?
大坂の陣ではまだ赤ちゃんの大八。伊達政宗にずんだ餅を勧められきっぱり「ううん。」(いらない)と断った将来有望な大八くん(笑)
今日の名シーン3
猿が好きだった伊達のずんだ餅
だが、大八は嫌いの様だ...#真田丸 pic.twitter.com/OCGTzJf7mi— 木島@ からくりロケット (@20Coffee) 2016年12月11日
大八は成人して仙台藩士となります。しかし、真田幸村の子と幕府に疑われ、仙台藩に幕府から詰問状が届きます。
それに対しての伊達家の回答
「幸村の次男大八は子供の頃、石合戦で石が当たり京で亡くなっている」と(´・ω・`)
大八は真田信尹の子の政信の子だと弁明したそうです。こっちの話では信尹叔父上の愛が感じられる~・・叔父上には政信という子は存在しないそうですw
大八は真田守信(さなだもりのぶ)と名乗っていましたが片倉姓に変え、子孫は仙台真田家として現在も残っています。現在の当主は第13代真田徹さんです。
春と伊達政宗には何も無い
というわけで伊達政宗と春にはなにもないというお話でした☆
まあ、平清盛の話もありますしね。※敵である源義朝の側室・美女の誉れ高い常盤御前(源義経の母)を妻とした話
春ちゃんなら伊達政宗の正室・愛姫(めごひめ)や側室の猫御前にも気の強さで負けないと思いますが(笑)
かっこよく引き受けたが春様がうちに来ることに 内心 震えておりまする
((((;゚Д゚))))))) pic.twitter.com/0u29QYXpZ0— 伊達 政宗 (@datemasamune141) 2016年12月11日
幸村の子供たちのその後
嫡男の真田大助(真田幸昌)は真田幸村と共に大坂夏の陣で立派な最期を迎えましたが、他の幼い兄弟たち(一説には三男九女w)はほぼ無事に一生を送っているのは何よりなことです。
たぶん茂誠兄や信尹叔父、お兄ちゃん信之など身内以外にも、パパ幸村が日の本一の兵になったことで、徳川に隠れて味方する人々が沢山いたんだと勝手に推察しています。幸村はヒーローだから。実際、松代藩主となった真田信之は江戸城に行くと若い武士から真田幸村の話をせがまれたそうなので。
春さん「大助はまだこれからが長いのです」
ずうっとこの穏やかな暮らしが続くと疑い無く信じている春さん。哀しいよね。・・三谷さんはちょくちょくこういうフラグを挟んで来る。#真田丸 pic.twitter.com/4BORvKmJ1p
— 終活1年生 (@katuyori0) 2016年11月20日
長女のすえちゃんは長久保の庄屋さん、石合十蔵(石合道定)さんの所にお嫁に行きましたし、長久保は中山道の宿場町でしたので、すえちゃんは陣屋がある石合家の嫁として、参勤交代で来る武士たちに「なんと!あの幸村公のご息女であるか!」とかチヤホヤされたのではないかと妄想も湧いてくるのです(・▽・*)
それと真田丸では出てこなかった(でも真田丸本編あとの真田丸紀行には紹介されていた)側室・たかの娘の話も良いので良かったら読んで下さい。パパの幸村とおじじ様の昌幸に似せた兜の話が泣けるのです。
先週の真田丸の春さん4コマ。#真田丸 #丸絵 pic.twitter.com/fmX0yMYWz2
— やす (@yasnot) 2016年12月11日
源次郎さまのためのきりですけど、春さまのためのきりでもあるのですよ。 #丸絵 #真田丸 pic.twitter.com/K5Kx2VIXQn
— 秋 佳 (@qiu1jia1) 2016年12月4日
【7月7日木曜】七夕(1)#真田信繁 ( #真田丸 )は #大坂夏の陣 で、 娘「阿梅」高梨内記娘=きりの子
息子「大八」淀&秀頼と自刃した長男大助とともに大谷吉継娘=竹林院の子
たちを #片倉小十郎重長 に預けました。
→ pic.twitter.com/GnHdN8LDsq— 骨盤インナーマッスル田中正之トレーナー (@jipamasa) 2016年7月7日
最期までお読み頂きありがとうございました