石田三成が加藤清正に耳打ちをした
2016/09/26
石田三成と加藤清正の最後の別れのシーン。石田三成が加藤清正に耳打ちをした。何をささやいたのか?ネットで話題となっています。
石田三成が加藤清正になんらかを ささやいて耳打ち。8/28日放送の真田丸第34話「挙兵」でのやり取りでしたが、次の回で判明するかと思ったのですが、まだわかりませんでした。
この間石田さんが加藤さんに耳打ちしてたのはいつ回収されるのかな#真田丸
— てづ (@coyache) 2016年9月11日
治部様が主計頭に耳打ちした言葉は一体何だったのだろうかと今週になっても考える。。 #真田丸
— K*Mомα™ (@EL_CICLON1018) 2016年9月11日
佐吉は虎之助に何を耳打ちしたの(;_q)気になって寝れない(;_q)(;_q)(;_q) #真田丸
— なかの (@nakano1bbb) 2016年8月28日
真田丸第36話「勝負」の最後には、関ヶ原の戦いでの石田三成率いる西軍の敗北の情報が、佐助によって上田城の真田昌幸・信繁親子にもたらされました。
三成が清正にささやいた言葉。これは石田三成から加藤清正への遺言なのでしょうか?
三成が清正に何を耳打ちしたのかわからないけど、清正が関ヶ原の戦場にはいないという事実から逆算してキャラクターを作ったんだろうなと。この二人の複雑な間柄が後の二条城会見とかに繋がるような気もする。 #真田丸
— tadataru (@tadataru) 2016年9月10日
「関ヶ原の戦い」当日、加藤清正は関が原に居ないんですよね。その頃は自分の領地、肥後がある九州に居た。
関ヶ原の戦いの前年、南九州を治める島津家の内乱で、主家に反乱をおこした伊集院家を影で支援していた件で清正は家康の不興を買っています。
家康くん、そこは豊臣政権五大老筆頭の立場で島津のお家騒動を鎮圧しようとしていたので立腹、家康くんは清正に上洛を禁じて領国での謹慎を命じていたのでした。
しかし清正が上杉や石田と戦わない様に仕組んだとも言えなくない。色々妄想は膨らみます。
関ヶ原の戦い前に三成が挙兵したことを知った家康は、清正が西軍に与みさないように東軍に加勢する事を許し、清正は九州の西軍を攻撃していた黒田官兵衛の軍に合流、関ヶ原の戦いは一日で決着しましたが、その後も九州では官兵衛軍が西軍の鎮圧を行っていたのでした。
黒田官兵衛ってΣ
官兵衛の嫡男・黒田長政は家康を慕い東軍の中枢で忠実に働いていましたが、黒田官兵衛は豊臣秀吉の軍師だった人、秀吉に天下を取らせた人物です。黒田官兵衛は東軍に与したとみせかけて、九州の兵力をまとめ隙あらば北上し、天下を取ろう としていたという話があります。
「挙兵」で三成から清正への耳打ち…「秀頼様を頼む」だと思うんですよね(わからないけど)。打ちのめされたような清正の表情。やはり佐吉は君側の奸ではない、そしてこいつがこの俺に秀頼様を託した。
だから、虎之助は。関ヶ原のあとに。熊本城をあのように。そして二条城でも。#真田丸— ぬえ (@yosinotennin) 2016年9月3日
私も石田三成が加藤清正にささやき、耳打ちをした時、清正が「打ちのめされたような」表情をした気がしたんですよね。三成の言葉にショックを受けた。そんな気がします。
何をささやいたのか?
佐吉から虎への耳打ち、「徳川を討て」って言うてるように見える~でも口元隠してわからなくしてるところが大事な内容なんだろうぬ #真田丸
— カロヤーン・アホジカ (@caroyaaaaan) 2016年9月3日
三成が清正に耳打ちした内容は
俺は徳川と大戦をするがお前は迷いなく徳川につけ。勝った方が豊臣の世を守り続けていこう。頼むぞ。
っていうプチ犬伏的なものであって欲しい笑
#真田丸— 舩戸 瑛介 (@sengokuzibuzibu) 2016年9月1日
皆さん気になって想像されています。いつこの話が回収されるのでしょうね。
私の勝手な想像ですが
加藤清正は石田三成の囁きにより「変心」したのではないかと思います。心変わりですね。家康に付くことをやめた。自分の間違いに気がついた。
石田三成は何をささやいたのか
加藤清正が瞬時に心変わりしたのは秀吉の遺言を聞いた以外ないと考えます。
加藤清正が幼い頃から仕え、父とも慕った秀吉の遺言。
「家康を討て」
石田三成が動いたのもそれですものね、同じ秀吉チルドレン。真の敵は家康と気がついたんだと思います・・私の勝手な想像ですが(;´∀`)ささやきの内容が真田丸の話が進み判明したらまた追記しますね。
しかし、加藤清正が心変わりして、黒田官兵衛とタッグを組んで北上して行ったとしたら家康くんにとって恐ろしい事になってたかもしれません。東北の上杉も善戦していますし、真田も健在、日本全国が東軍と西軍に分かれていてどうなっていたか。
そもそも黒田官兵衛と加藤清正が徳川の東軍にいること自体おかしい話。
⇒ 熱い男、加藤清正
ただ関ヶ原の戦いがたった一日で終わってしまったので、色々な思惑も霧散してしまいました。戦いが長引いたらどの様に転ぶかわからなかった。内戦がずっと続く状態になったのだとしたらそれも嫌ですけれど・・
袂を分かった石田三成と加藤清正。
だけど根っこのところで繋がっているふたり。一瞬のささやきでお互い理解し分かり合えるふたり。二人が仲違いしなかったら・・と思わずにはいられませんね。
加藤清正は自分の建てた城、熊本城に「昭君之間」を作りました。何かあった時この城に豊臣秀吉を招き入れ、守ろうとしたと伝えられています。
治部様と刑部様の友情も泣けたけど、佐吉と虎之助の友情も熱かったなあ。まさか今さらあの場面回収するとは思わなかった。
清正公は、熊本城の本丸御殿に、有事の際、秀頼公を匿うための部屋を作ったのよね。結局一度も使われなかったけど。 #真田丸 pic.twitter.com/HsGmaYqC22— 常盤 (@tokiwa_wb) 2016年9月25日
【耳打ちの内容判明】
真田丸第39話「昌幸」で耳打ちした内容が判明しました。 佐和山に蟄居を命じられた石田三成が加藤清正に耳元でささやいた言葉。
「豊臣家をたくす」
「命にかえて秀頼様をお守りしろ」
が正解でした。
「家康を討て」では無かったぁ(;´∀`)
真田丸公式サイトで加藤清正役の新井浩文さんへのインタビューで、 耳打ちシーンでは2つの驚きを表現したそうです。
悔しいけれど、秀頼を命懸けで守るという大役を果たしてのご退場でした、加藤清正公(T_T)新井浩文さんの加藤清正、かっこよかったー! #真田丸 pic.twitter.com/2PZJAPFlGr
— シン・名前はまだ決まらない (@namaehamada_nai) 2016年9月25日
「こいつ、まだやるの?」という驚き
「それを清正にたのむ?」という驚き
清正のあの表情はそういうことだったんですね。
特集 インタビュー 加藤清正 役 新井浩文さん ~芝居を作る基礎は、日常で培われる~|大河ドラマ『真田丸』 豊臣勢の中でも独特の存在感を放つ加藤清正。新井浩文さんの作り出す空気感の背景とは? https://t.co/XYQCqqAfLe
— らぶりぃ (@pululunn789) 2016年9月25日
石田三成も加藤清正も豊臣家への忠誠心には変わりなく、お互い友情を感じているのに思考回路は全く違う。お互いのすることに理解不能、なんだか噛み合わないことがずっと続いていたそんな関係に見えました。
天国で再会してもきっと噛み合わない(笑)でも争いがない世界だったら昔のようにゆっくり呑めるんじゃないかな・・と悲しく、楽しく想像してしまいます。
また虎のせいで仕事が片付かなかった…と紀之介さんにぼやいてそうな佐吉さん。
なんだかんだで結構つきあってやってたのではないか説。 #真田丸 #丸絵 pic.twitter.com/ZK2k4wrO9Q
— やすっぺ(▼Σ▼。) (@micsyasue) 2016年9月14日
最後までお読み頂きありがとうございました