裏切り者小早川秀秋の最後
2016/09/14
歴史史上一番の「裏切り者」として名高い小早川秀秋(こばやかわひであき)。真田丸では豊臣秀吉との最後の対面時に「お元気で」??。
秀頼を頼まれたら「できるかぎりで」??。秀吉の命の炎を吹き消したり(笑)小早川秀秋くんはKY?ヤラカシくん?演じるのは俳優の浅利陽介さん。
うっかり小早川秀秋4コマ
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— しめじ (@shimeji_b) 2016年8月7日
消すなよ!いいか、ぜったいに消すなよ! #真田丸 pic.twitter.com/DQ9FO8D4Ia
— 久世番子 (@bankolan) 2016年8月7日
【秀吉の命の炎を消す】
真田丸第30話「黄昏」では豊臣秀吉が大事にしていた「命の火」を吹き消してしまいました。秀吉、信繁、家康揃って「ぎゃーーー!!!」 (苦笑)
【関ヶ原の戦いまでの小早川秀秋】
小早川秀秋『え、ワシは…?』
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— しめじ (@shimeji_b) 2016年8月21日
真田丸での小早川秀秋は関ヶ原の戦いまでの今のところ、宇喜多秀家の側にいて頑張っていますね!まだ10代の若武者・小早川秀秋。豊臣家を守ろうとしています。
【小早川秀秋の生い立ち】
小早川秀秋は秀吉の正室、寧(ねい)の甥にあたります。寧(ねい)の兄の5男として生まれ、秀吉と寧(高台院)に養子として育てられました。真田丸でも時々「金吾(きんご)」と呼ばれていますが、官位が権中納言であり、金吾中納言(きんごちゅうなごん)と呼ばれていました。しかし1593年、豊臣秀吉に跡継ぎの豊臣秀頼が生まれ、小早川家に養子に出されます。
真田丸では、豊臣家を一緒に盛り立てていた秀吉の甥、豊臣秀次への処罰を横でつぶさに見ていましたね。小早川秀秋自身、秀次事件に連座して丹波亀山城を没収されました。しかし義父の小早川隆景が隠居して城を譲られ30万7千石の筑前国主となります。
その後も朝鮮出兵に行ったり豊臣のために尽くしていますが、領地を越前北ノ庄15万石に転封されたりあまり良い待遇を受けてないですね。領地を半分に減らされた事により、有能な家臣を手放しています(秀吉の死後、五大老の合議により、旧領の筑前30万7千石へ復帰ししました)
【関ヶ原の戦いでやらかす】
関ヶ原の戦いでは、小早川秀秋は西軍に味方しましたが、かねてより東軍の徳川家康から寝返りを示唆されています。松尾山に陣を引き、動かずに戦いを傍観していましたが、家康からはひっきりなしに使者が来ます。
家康は秀秋の陣めがけて鉄砲を打ちかけたという話もあります。
そうして小早川秀秋は東軍に寝返り、松尾山のふもとに陣を引いていた大谷吉継を1万5千の兵で攻撃、小早川隊だけでなく、脇坂安治、小川祐忠、赤座直保、朽木元綱も東軍に寝返った為に大谷隊は側面から攻撃を受け、大谷隊は壊滅、その勢いのまま小早川隊は宇喜多秀家隊に突撃して集中攻撃。
「金吾?!金吾~~!!」
大谷吉継さんと宇喜多秀家さんの声が聞こえる様です(;´∀`)
小早川秀秋の裏切りに勢いづいた東軍は西軍に総攻撃し、宇喜多秀家隊も壊滅、石田三成隊も果敢に戦い続けましたが重臣・島左近も討たれ、石田隊も壊滅。
小早川秀秋の裏切りにより関ヶ原の戦いは一日にして東軍勝利が決まります。
【小早川秀秋の最後】
関ヶ原の戦いの後、小早川秀秋は旧宇喜多秀家領の岡山藩55万石に加増されましたが、2年後の慶長7年(1602年)、突然秀秋は21歳の若さで亡くなります。
小早川秀秋の最後はドラマや小説では東軍の武将からも裏切りを責められ、馬鹿にされ、徳川家康からさえも冷たく扱われ、裏切った石田三成や大谷吉継の霊に悩まされ、狂気に陥ったとされることが多いですが、幼い頃から不摂生な生活を送り、若くして肝硬変を患っていたという説があります。
【小早川秀秋役の浅利陽介さん】
真田丸の小早川秀秋役は浅利陽介(あさりようすけ)さん。 2014年の大河ドラマ軍師官兵衛でも同じ役を演じました。「官兵衛の小早川秀秋役も浅利陽介さんだった~!」と話題になっています。
え、やっぱり!!
小早川秀秋役の人、既視感あるなって思ったら、去年も浅利陽介さんだったのか〜!
さすが、似てるからかな(笑)#真田丸#軍師官兵衛 pic.twitter.com/VzDrLm4gKK— ひ び キ (@yuzu_pooh_o0O) 2016年6月26日
うん、なんだか小早川秀秋顔なんですよね、浅利陽介さん(;・∀・)
さて、小早川秀秋の衣装ですが!
次回予告の小早川秀秋の甲冑、戦国BASARAの金吾の衣装に似てて笑った。いや、多分BASARAの方が似せてるんだろうけど #真田丸 pic.twitter.com/Eiyc0K2k4y
— ぺけし@実況専門 (@P4iE5) 2016年8月14日
小早川秀秋が真田丸で着ている鮮やかな赤、緋色の陣羽織は「猩々緋羅紗地違い鎌模様陣羽織」(しょうじょうひらしゃじちがいがまもよう)」という現在、東京国立博物館で保管されている重要文化財、小早川秀秋が所用した陣羽織になるかと思われます。
鮮やかな緋色は南蛮からもたらされた色で猩々の顔の色、背中はおそらくエックスに2本の鎌が配置されたオサレなデザインとなっています。猩々緋羅紗地の違い鎌模様の陣羽織です。
↑これ東京国立博物館所蔵で本物みたいなんですが、鮮やかすぎてレプリカみたい。こんなに保存状態良いんですね。緋色が綺麗でかっこいいデザインです。さすが豊臣家の貴公子、小早川秀秋の陣羽織・・
日本史上もっとも「卑怯者」「裏切り者」と名高い小早川秀秋。真田丸では幼少時から豊臣一門として頑張る姿や、裏切る動機と思われるさまざまな出来事も描かれていますね。
秀吉と寧(ねい)のもとで幼い頃から顔見知りだった、石田三成、大谷吉継、宇喜多秀家ら西軍の武将達を裏切った小早川秀秋。
真田丸では最後の「裏切り」の部分、どのように動機付けされるのでしょうか?目が離せないですね。
-真田丸キャスト紹介-
【浅利陽介さんプロフィール】
配役:小早川秀秋
本名:浅利陽介
生年月日:1987年(昭和62年)8月14日
出身地:東京都
血液型:O型
学歴:淑徳巣鴨高等学校卒業。大正大学卒業。
事務所:株式会社ビーコン・ラボ
趣味:乗馬、野球、スキー、映画鑑賞
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