【ネタバレあり】登場人物紹介

大谷吉継の病気(白頭巾姿公開!)

2016/09/09

晩年、らい病(ハンセン病)という病気にかかり白い頭巾を被ったイメージがある大谷吉継(おおたによしつぐ)。

 

真田丸の大谷吉継(俳優:片岡愛之助さん)は真田丸27話「不信」の時点でまだ病気の気配がありません。 真田丸25話「別離」では千利休の処罰に影で関わり、「たたりなどあるはずがない、もしあるなら真っ先にたたられるのはこの私だ」といった大谷吉継。

 


真田丸の主人公、真田源次郎信繁の正室である「春・はる(女優:松岡茉優さん)」の父で、石田三成の親友の大谷吉継。信繁(俳優:堺雅人さん)はじめ廻りの人からの人望厚く、頭脳明晰で冷静沈着。

 

大谷吉継はいつから病気となり、白い頭巾をかぶるようになるのでしょうか?

 

「唐入り(朝鮮出兵)」では石田三成と一緒に忙しく采配、手配をしていたシーンが見られました。 吉継は船奉行、軍監として船舶の調達、物資輸送の手配などを務めていました。 兵や物資を大量に朝鮮に送るのはかなり大変だったと思われます。

 

【大谷吉継の病はハンセン病?】
大谷吉継の病気はハンセン病(らい病)といわれています。 また一説には性病の梅毒ともいわれています。 真田丸の大谷吉継さんだと・・梅毒っていやぁ!イメージじゃない(;´∀`) でも当時梅毒は凄く流行していたそうです。 加藤清正さんが亡くなった原因も梅毒の説があります。

 

【ハンセン病、らい病とは?】
抗酸菌の一種であるらい菌から引き起こされる皮膚と神経を侵す慢性の感染症で、病気初期は肌に発疹が出来、 知覚障害も次第に重度になります。中期になると顔面神経麻痺や眼症状、運動障害が見られ、重度になると神経障害、機能不全が起き、皮膚がただれ知覚マヒや手、顔、指などに変形をきたすことがあります。

 

【病気はいつから?】
史実では1594年から1597年頃まで豊臣政権の中枢から離れていたので、 この頃病が重くなり、病気療養していた可能性が高いです。

 

その後復帰し、豊臣秀吉の死後は徳川家康と前田利家の対立や、豊臣政権の大名達の家中のいざこざの調停などで奔走しています。特筆すべきはこの頃の大谷吉継は徳川家康とけして不仲ではなく、むしろ親しかった事です。

 

しかし結局大谷吉継は家康ではなく、石田三成との友情を取り、西軍に味方しました。病気をおして・・(涙)徳川家康は大谷吉継が西軍につくと知った時、非常に狼狽したそうです(内野聖陽さんの家康くんですぐ狼狽ぶりが目に浮かびますね、笑)

 

吉継は敗戦も予想していたといいます。関ヶ原の戦いでは顔がただれ、また失明もしていたといわれています。

 

【真田丸32話「応酬」では】
真田丸28話からだんだんと病気が進んでいく大谷吉継。病気の原因はまだよくわからない様子ですが、真田丸32話では書状を書くても震えておぼつかない。可哀想( ;∀;)

 

 

さて、大谷吉継の白頭巾姿ですが!

 

大谷吉継役の片岡愛之助さんがブログ

 

きまぐれ愛之助日記

 

で「白頭巾姿」を初公開されています!

そして盟友、石田三成役の山本耕史さんとツーショット!

 

素敵です!!

 

片岡愛之助さん凛々しいですね、白頭巾(覆面)のお衣装もかっこよくて、よくみる大谷吉継の白頭巾より高級そう・・上質なご衣装ですね!(新品?!)

 

石田三成役の山本耕史さんはちょっと「にひっ」とした笑顔が、石田三成ではなく素の山本耕史さんぽくてお可愛いです。

 

もうすぐ片岡愛之助さんも山本耕史さんもクランクアップだそうです。

寂しいです(´;ω;`)

 

片岡愛之助さん素敵なお写真をありがとうございました。

 

関ヶ原の戦いでのお二人の勇姿を一生懸命拝見します!

 

最後までお読み頂きありがとうございました

 

よければこちらも一緒にご覧下さい

⇒ 大谷吉継に片岡愛之助さん

⇒ 真田丸登場人物&キャスト紹介

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