石田三成が茶々の事をスルーしている。
2016/09/13
真田丸大坂編がはじまり数話過ぎたところですが。
冷静沈着な石田三成。
秀吉の意図を読み豊臣政権の中核を取り仕切る人物。
石田三成が茶々の事をスルーしている。
真田丸の石田三成と茶々の関係は、 今までの石田三成と茶々の関係性とはちょっと違いますね。 確かに秀吉があそこまでご執心だと茶々には無関心を決め込むしかありませんが、無関心を装ってるのとは違うような。。
本当に関心が無い様な(笑)
今までの三成があまりに「淀殿(茶々)のために」度が強い三成が多かったので。 関が原の戦いも「秀頼と淀殿」の為に戦ったというストーリィが定番の様にあって。
真田丸では信繁が「秀頼と淀殿」の為に大坂の陣を戦うというロマンス(妄想)を私は期待してたりしましたが(笑)
真田丸の石田三成は茶々の事をスルーしている。 こんな関係の石田三成と茶々は初めて(笑)
しかし、今までの石田三成と茶々のドラマや物語での関係性は少し違和感があったので。茶々スルーの三成も良いな、新しい三成像として描いて下さったらと楽しみにしています。
【私が感じてた違和感】
今までの三成と淀殿(茶々)の関係で違和感を感じていたのはみっつの点。
1、茶々と三成は同じ近江出身(現在の滋賀県)なので浅井家の姫だった茶々を三成は崇拝していたという説。それは良いのだけど、 茶々側として三成を見るのには違和感がありました。そして秀吉の正室・寧(ねい)に冷たい三成にも。 石田三成って秀吉子飼いの武将で、少年の頃から寧(ねい)に優しくされていたのではないの? クールな石田少年を想像してしまいますが、清正や正則と同じく食事や衣類の世話をして貰って、 大人になってそんなに冷たく出来ますかね?
2、豊臣家が滅び徳川時代に入って、淀殿と三成の評判を下げる噂がたった。秀頼が三成の子であるとかですね。 二人を悪者にする流れは徳川時代ではしょうがないけど、だからといって二人を一緒くたで並べなくても。 二人が恋愛関係にある説はどうなんでしょうか? 二人は年齢差9歳ありますからね(秀吉と茶々との関係は主命ですから、笑) 若い同じ年頃のふたりならともかく三成は自制が効く年齢ではなかったでしょうか?
3、茶々が「関が原の戦い」の時に三成に協力的でない事。 秀頼は成人するまで大阪城から一歩も出た事がなかったとか。 そういう過保護な茶々と側近達ではありますが、関が原の戦いの西軍、東軍はみな分かれたと言えど豊臣の家臣だった人達。 家康の東軍に味方した加藤清正、福島正則、前田利長らも豊臣の後継者である秀頼の行動次第でいくらでも西軍についたのでは? 戦い前に秀頼や秀頼側の工作で朝廷に「家康討伐」の詔を出してもらったり、たとえば大津の瀬田の唐橋あたりまで秀頼自ら出陣したら? 西軍についた人達は寧(ねい)との関係性もあるとは思いますが、三成に協力する動きを淀殿がした様子が無い。
関が原の戦いは淀殿の行動しだいで大局が変わったことは十分考えられます。 ちなみに徳川秀忠(俳優:星野源さん)率いる徳川軍の本隊は「真田昌幸親子」が第二次上田合戦で足止めしていて、関が原の戦いには間に合っていないですからね。 実は関が原の戦い、家康にとってかなり危ない状況でした。切れて敵方に突っ込んでいったくらい(笑)
忠臣三成に対して茶々はあまりに冷たい仕打ち。二人は今までのドラマや小説でいわれているほど親しくなかったのではないかと思われます。
石田三成、茶々をスルー。
真田丸の石田三成これからも興味深く拝見してます\(^o^)/
【追記】
話が進み秀吉が亡くなった後も三成と茶々は相変わらず、一定以上の距離を置いての関係が続いています。
真田丸第33話「動乱」では石田三成が徳川屋敷を襲撃の際、まだ幼い秀頼の「御旗(みはた)」が欲しいと京都から大坂城に来て、秀頼の守役の前田利家と大蔵卿局と対話しますが、ここでも茶々はスルー。茶々の方も「三成帰ってしまったの?」と三成の置かれている立場も知らない様子。
茶々は秀頼と信繁(ちょっとだけ)以外は興味ないみたいですね、世情にも関心がない。
関ヶ原の戦いも興味なくて
「あ、三成亡くなっちゃったの~?」
とマジで言いそうΣ(;´∀`)
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