徳川秀忠と真田家
2016/09/09
真田丸28話「不信」から徳川家康の嫡男、徳川秀忠(とくがわひでただ)が登場。真田丸の初登場シーンは「秀忠?!」とビックリするものでしたね。秀忠って馬鹿なの?愚鈍なの?阿呆なの?秀忠の今後が心配になりましたね(;´∀`)
演じるのはミュージシャン、映像ディレクターでもある星野源(ほしのげん)さん。
真田丸登場人物紹介、真田家と因縁がある徳川秀忠。秀忠は徳川家康の後を継ぎ、徳川幕府の二代将軍となる人物です。しかし、彼は長男だったわけではありません。彼は3男であり、正室の子でもありませんでした。
おいおいおいおい…心拍数が確実に上がったよ\(//∇//)\
こんな可愛い将軍さまホンマどうしてくれよう←#星野源#真田丸#徳川秀忠 pic.twitter.com/BJMYZPulGy
— てるのん (@terunon1999) 2016年5月19日
徳川秀忠は徳川家康(真田丸での俳優は内野聖陽さん)の3男として天正7年(1579年)に誕生、真田丸の主人公、真田源次郎信繁より12歳年下になります。母は家康の側室の西郷局(さいごうのつぼね)。お母様は三河の名家の出身ですが、秀忠が10歳(1589年)の時に亡くなり、翌年秀忠は人質として上洛、秀吉が烏帽子親(えぼしおや)になり元服します。
秀忠は秀吉がスカウトしてきた乳母の大姥局(おおうばのつぼね)に育てられます。また真田丸に登場する家康の側室、阿茶局(女優:斉藤由貴さん)も秀忠と同母弟の4男松平忠吉(まつだいらただよし)の養母となっています。
17歳の時(1595年)秀吉の養女「江(ごう)」と結婚。江(ごう)は浅井三姉妹の3女、茶々(淀殿)の妹ですね(・∀・)
徳川家康には11男5女の実子がいますが、経歴をみていると天下人の子供も大変だなと思わざるおえません。
豊臣秀吉の親族も織田信長の親族も真田丸を見ていると大変な目にあってますが、徳川家康の息子の上の方も養子に出されたり、自刃させられたり、蟄居させられたり、戦いの怪我がもとで亡くなったり悲惨です(´;ω;`)やっと9男、10男、11男が平和となり徳川御三家を継げたという。。
徳川秀忠は3男でしたが、長兄が自刃、次兄が秀吉の養子となったこと、また性格も父に忠実で実直な人柄という事で徳川の跡継ぎとなった様ですが、戦の経験はほぼ無かったので「関が原の戦い」では嫡男秀忠に戦での箔を付けたいという意図が徳川家康にはあったようです。
家康は3万3千の兵で東海道を通り西へ、秀忠は3万8千の兵で中山道を通り西に向かいはじめました。秀忠軍の方が人数が多く主力で家康の息子に対する期待が感じさせられます。
それを阻んだのが真田家(苦笑)
「真田昌幸被害者の会」という会がネット上でささやかれ、真田丸で昌幸の謀略に遭いひどい目にあった人々をメンバーに加え盛り上がったのですが、そのメンバーにまだ出演していない徳川秀忠が早いうちからメンバーとして取り沙汰されていました。
RT @kuroma_9: 真田昌幸被害者の会に新規一名様ご案内#真田丸 pic.twitter.com/IteReehsCv
今なら期間限定で3000万石プレゼントなりよ
— ジュリア・ベシェ・ロータス (@Juliapple0917) 2016年3月13日
「真田昌幸被害者の会」については詳しくはこのページをご覧下さい
メンバーというか名誉会員?会長?(笑)
徳川秀忠は中山道近くにある真田家の居城、上田城で「真田昌幸(真田丸では草刈正雄さん)」「真田信繁(真田丸では堺雅人さん)」親子に足止めをくい、関ヶ原の戦いに遅れるという大失態をすることとなります。世に言う「第二次上田合戦」です。
第二次上田合戦は「犬伏の別れ」の後ですから、お兄ちゃん真田信幸は徳川秀忠に同行しており(本多正信も同行)、徳川方として真田家と交渉したり、弟信繁が守る戸石城の攻略を命じられたりしたが、信繁は兄と交戦する事を避け城を開け渡し、父の上田城に戻りました。
「犬伏の別れ」「第二次上田合戦」は真田丸ではどう描かれるかとても楽しみです。
後日、関が原の戦いに遅参し、秀忠が釈明の為、父の家康の元へ面会を求めたところ、父の徳川家康は秀忠に会ってくれなかったそうです(;´∀`)その後家臣たちの仲裁もあり、面会を許されますが、秀忠は真田親子の事を長く深く怨んでいて(苦笑)長年に渡り許すことが無かったそうです。
その中で大名として真田家を守ったお兄ちゃん真田信幸(真田信之)は凄いなと思います(真田丸では大泉洋さん)。上田の所領が後年(1622年)、松代藩に転封されたのは2代将軍徳川秀忠のただの嫌がらせだったといわれています。翌年の1623年には息子の家光に将軍の座を譲っていますので、最後に真田家転封だけはしておきたかったのでしょうか(;´∀`)
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