【ネタバレあり】登場人物紹介

信繁の最後の主君、豊臣秀頼

2016/12/06

真田信繁(幸村)の最後の主君、豊臣秀頼(とよとみひでより)。天下人の豊臣秀吉を父に持ち、母は浅井長政の娘・茶々(淀殿)。

 

「本当に太閤の子か?!」と徳川家康を唸らせた真田丸の豊臣秀頼はイケメンで超絶聡明?信繁と秀頼の関係は?真田丸第38回「昌幸」にて初登場です!

 

運命の子秀頼

凛々しい若武者「運命の子秀頼」
演じるのは中川大志(なかがわ たいし)さん。

⇒ 豊臣秀頼役の中川大志さん


不敵な笑みもカッコ良い!

加藤清正(キャスト:新井浩文さん)と共に徳川家康との二条城での謁見に臨みます。↓こちらは秀頼主催の鷹狩の様子。堂々と広間にて皆に号令をかけています。付き従う加藤清正。


真田丸主人公・真田信繁は豊臣秀頼の要請により14年間の九度山での生活から脱出、大坂城に参陣します。信繁の最後の主君、命をかけるにふさわしい、聡明で凛々しい若者に成長した秀頼。

秀頼の父は豊臣秀吉

秀頼の父は農民出身から関白・太閤と天下人となった豊臣秀吉(キャスト:小日向文世さん)。秀吉57歳の時に誕生した秀頼を溺愛し、62歳で亡くなる前には「秀頼の事をたのむ」と多くの大名達に願い亡くなりました。

秀頼の母は茶々(淀殿)

秀頼の母の茶々(キャスト:竹内結子さん)は近江の戦国武将・浅井長政を父に、母は織田信長の妹・お市の方という、当時のセレブ姉妹「浅井三姉妹」の長女。

 

真田丸では「あの方は悲しむことをやめたのです」と乳母の大蔵卿局(おおくらきょうのつぼね)に語られていました。俗世の事にはあまり関心がない茶々、しかし秀頼を溺愛し、大坂城の主となる豊臣秀頼を産んだことにより、秀吉が亡くなったのち大きな影響力を持つようになります。

秀頼の生い立ちと生涯

秀頼は文禄2年(1593年)8月3日に大坂城にて誕生、伏見城で育ち、わずか4歳で元服、秀吉亡き後は母の茶々(淀殿)と共に大坂城に移り住みました。1600年関が原の戦いが勃発、西軍も東軍も「秀頼様の為」という名目で激突。結果は東軍の徳川が勝利し次第に秀頼は天下人の座からはずされていきます。。

 

1603年、11歳の時に家康の孫娘・千姫と結婚。1611年、加藤清正と浅野幸長が付き添い二条城で家康と謁見。

 

1614年「方広寺鐘銘事件」を口実に大阪の陣が勃発。関が原の戦いで浪人となっていた多くの武将が大坂城に入場。元大名格である真田信繁、後藤又兵衛、明石全登、長宗我部盛親、毛利勝永も参陣「大坂城の五人衆」といわれ奮戦します。

 

「大阪冬の陣」「大阪夏の陣」にて豊臣秀頼と大坂城の五人衆、そして真田丸の主人公・真田信繁の命を掛けた戦いと活躍が真田丸のクライマックスです!

 

1615年、豊臣家滅亡、豐臣秀頼と母親の茶々(淀)も亡くなります(涙)

 

秀頼の本当の父は?

秀頼の本当の父親は誰なのか?昔からよくいわれる話です。そして当時から噂が流れていました。真相はわかりません。真田丸の茶々は「殿下(秀吉)の子ですよ」と言っていましたね。冗談で「信繁です♪」とも言ってましたが(笑)

 

女性の方どうですか?親の仇、兄(万福丸)の仇の秀吉にどうしても嫁がなくてはいけないとしたら・・天下取ったる!と思うかも?(苦笑)それなら跡継ぎを産むのは必要不可欠ですよね。真田丸の茶々にはそんな気は全然みられなかったですけどね。

 

秀頼の本当の父として石田三成や大野治長、伊達男の名古屋三郎などの噂がありますが、
そもそも軒下も天井裏も素っ破が見張っている大坂城の奥でそんな事は不可能という研究者の方もいらっしゃいます。私は・・さらっとだけ言いますね、大蔵卿局が「成分」だけ持ち込むとかそんな可能性を考えました。何度も危険を侵すよりその方が確実ですし(/ω・\)

 

秀吉が140~150cmの小男で、秀頼が180cm超えの長身だったということで秀頼は秀吉の実子でないと疑われますが、母方の祖父の浅井長政は180cm超えの長身で、茶々も170cm超えのスレンダー美女だったそうです。どちらにせよいくら話題にしても真相はわからない事ですね。

 

秀頼の子役の石田 星空 (いしだ せら)くんも賢そうな少年秀頼で良かったですよね!

良い秀頼・悪い秀頼

秀頼は父の秀吉からも茶々(淀)からも溺愛され、長い間物語や小説やドラマなどであまり賢く育たなかった人に書かれていました。

 

茶々の取り巻きの侍女たちに甘やかされ育ち、超肥満で馬に乗れず、武芸も出来ず、茶々(淀)が過保護の為に19歳の時に京都二条城で家康と対面するまで大坂城の外にはほとんど出たことが無かったとか、愚鈍な暗愚なイメージの秀頼ですね。徳川幕府のネガティブキャンペーンかもしれません。

 

逆に父からも母からも周りからも甘やかされて育ったにも関わらず、聡明に育ち、二条城の謁見での秀頼の堂々とした態度に徳川家康が驚愕した話も伝わります。良い秀頼(良いジャイアンのノリw)ですね。


秀頼の立派な風貌と聡明さに驚き、豊臣家の滅亡を決意した ともいわれる家康ですが、真田丸ではどの様に描かれるでしょうか・・

 

信繁と秀頼

真田幸村(信繁)は秀吉の馬廻衆(警護役)として、赤ちゃんの秀頼を秀吉の代わりに抱っこしたり、面倒を見ていましたね。幼い秀頼の聡明さも見抜いていました。茶々と信繁の再会も楽しみですが、信繁と主君、豊臣秀頼とはどの様な対面をするのでしょうか?

 

信繁と秀頼の関係も興味深いです。信繁と秀頼の主従関係をしっかり描いて欲しい。

 

信繁、秀頼ともに最後の時期ですからね

 

濃い絆で結ばれ、石田三成や大谷吉継の様に笑って逝ける最後になって欲しいです。

 

真田丸のクライマックス。

 

楽しみにしています!
(視聴する時はハンカチ必須ですね・・)

大河ドラマの秀頼

徳川家康との京の二条城での会見では、家康に「豊臣秀頼である!」と堂々たる態度を見せ、圧倒した秀頼。


輝くばかりの豊臣秀頼が眩しかったです。


しかし逆にその聡明さを恐れた家康に豊臣打倒の決心をさせ、皮肉な結果となりました。


幸村(信繁)が大坂城に入城すると「私のことを覚えておるか?」と秀頼の方から幸村に問いかけます。

 

初めての軍議では後藤又兵衛ら牢人達の勢いに、戸惑いと慌てぶりを隠せない秀頼。ドラマ真田丸で初めて、まだ若い経験不足の青年の姿を見せました。


「籠城か」「打って出るか」の軍議では「籠城」に皆の意見が偏る中、「打って出る」という幸村(信繁)の意見を聞こうとします。


牢人達と大野治長、木村重成の意見を取りまとめた真田幸村。豊臣の武将達の団結も強くなりました。しかし秀頼の母(茶々)に「打って出る作戦」をくつがえされやむなく籠城策に変更する豊臣秀頼。

 

代わりに幸村は出城の真田丸を築く許可を大野治長に得るも、織田有楽斎と大蔵卿に阻まれます。自分達の意見が通らぬと苛立ちを覚える牢人衆。大坂城を去ると言い出した後藤又兵衛と毛利勝永。


建設中の真田丸に来た豊臣秀頼。
秀頼:「私はお主達を信じておる」
その一言で牢人衆の心を溶かす秀頼のカリスマ性が凄い!


真田丸の戦いで真田幸村ら牢人衆が大勝利し、喜ぶ豊臣秀頼。

 

真田丸の戦い後、徳川のスパイであった織田有楽斎と茶々の乳母・大蔵卿局に和睦を勧められ、迷いながら和睦の方向へ進もうとする秀頼。しかし、幸村の手により母・茶々に和睦を反対されくつがえされます。

 

秀頼:「おのれの言葉の重みを知れと申したのはそなたではないか。」
秀頼泣きそう。
幸村:「断を下すべきは勿論殿でございます。しかし誤りであれば私はいかなる手を使っても食い止めまする」

 


幸村と茶々により和議は中止と決まりました。しかし、一発のカルバリン砲が大坂城天守閣に命中。徳川との和議へ進むこととなります。

そして真田丸も取り壊され、堀も埋められ、大坂城は裸の城に。

浪人衆は大坂城を出ず、幸村の元へ。「総大将はお前だ」「次の策を考えろ!」そして秀頼も幸村の元へあらわれます。

秀頼:「望みを捨ててないものだけに道は開かれる。とそなたは言った」
秀頼:「私はまだ望みを捨てていない」


真田幸村と主君・豊臣秀頼の最後の戦いが始まります!!

 


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