伊達政宗、幸村を愚か者と呼ぶ
2016/12/09
くしくも同い年の伊達政宗と真田幸村(信繁)。大坂冬の陣、開戦前の家康の陣にて政宗は上杉景勝を前に「愚か者ですな」と幸村を呼ぶ。しかしかつて「ワシだって何万という大軍を率いて敵を蹴散らしたい」と幸村(信繁)に語った政宗。
遅れてきた戦国武将・伊達政宗
その想いは?
伊達政宗を演じるのは長谷川朝晴さん
ずんだハッスルの政宗。「思えよ!」の政宗。兄上と同じく「もう少し早く生まれていれば…」の政宗。
好きだ (*´д`*)ハァハァ#真田丸 pic.twitter.com/ML8SQ009su— nak (@nak0127) 2016年6月20日
若い頃、小田原城攻めに遅参し、豊臣秀吉にあやうく処罰されそうになった伊達政宗。
政宗は重臣・片倉小十郎景綱(キャスト:ヨシダ朝さん)と共に秀吉と諸大名を「ずんだ餅パーリー!」にて接待し、その軽やかな掛け声とずんだ餅作りにて諸侯を圧倒、真田丸視聴者の心もわしづかみにしました。
日曜夜のサラリーマン視聴者たちに気骨を見せつける伊達政宗公#真田丸 pic.twitter.com/ued5ujbdKE
— フジワラ (@total_fujiwara) 2016年6月19日
ずんだ餅パーリー!の夜、偶然出会った政宗と信繁はひととき語り合います。
伊達政宗は太閤・豊臣秀吉、大御所・徳川家康と続けて天下人に気に入られる天才的な処世術をみせました。
テヘペロ政宗かわいいな #真田丸 pic.twitter.com/GHvMyq4jyP
— けーと (@jackpot_kei) 2016年8月14日
真田丸ではちょっと調子よくて軽い感じの伊達政宗。(それがまた良い♪)
10代で伊達家当主となり、またたく間に東北の覇者となりましたが、豊臣秀吉が全国を平定した為に「政宗の野望」はゲームオーバー、覇道の道を閉ざされ悔しい思いをしました。
「あと20年早く生まれていれば」と信繁(幸村)にも言っていましたね。遅れてきた戦国武将・伊達政宗。しかし腐ること無く天下人秀吉に頭を垂れ、気に入られたかわり身の速さは常人には出来ないあっぱれな事。
思えば伊達政宗、真田信之(キャスト:大泉洋さん)&真田幸村(キャスト:堺雅人さん)兄弟の世代は戦国時代も終わりに近づき、生き方も変えねばならず大変な世代でした。
豊臣から徳川へ
豊臣秀吉亡き後はすぐさま徳川家康につきます。自分の娘・五郎八姫(いろはひめ)と徳川家康の六男・徳川忠輝を婚約させ、関ヶ原の戦い前には北の要として最上家と共に上杉景勝&直江兼続と激突。
関が原の戦い以後は徳川家との絆を深めながら、料理、能、和歌などの趣味に興じ風流人としての名をあげつつ、松島の瑞巌寺を建立したり(一説には軍事要塞、出城として作られたという)、スペインに慶長遣欧使節を送ったり(スペインと仙台藩の軍事同盟が本当の目的とも言われています)戦国武将としての表裏も忘れない政宗。
あー、この状況書いてたらまだ「政宗の野望」降りてない、ゲームの続きしてた気がしますね。茶の湯とか文化スキルあげつつ(笑)外国まで巻き込んで「政宗の野望(世界編)」まで考えてたのでは?
頭も切れ処世術にもたけ、戦も上手な伊達政宗。
伊達政宗、何年経ってもブレないスタンスいいね!
#真田丸 pic.twitter.com/LBenJiqqaF
— しめじ (@shimeji_b) 2016年11月6日
その政宗が旧知の真田源次郎幸村の事を「愚か者」と言った。
真田幸村を愚か者という
フゥ〜、何回でも見ちゃうなぁ‥ハセ政宗公‥
・゜。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚
ハセ政宗公は声が割と高めで軽やかだから聞く側の耳にスルッと入っちゃう罪な声で素敵〜♪♪♪#真田丸 pic.twitter.com/qS6pO3k6th— 吾輩はたぶん猫 (@wagahai2016) 2016年11月6日
真田丸44話築城にて「集まった牢人衆の中には 真田左衛門左もいるとか」とさらっと上杉景勝様(キャスト:遠藤憲一さん)に源次郎が大坂方についたことを伝え、激しい動揺を与える伊達政宗。
さらに「愚か者ですな」と続ける政宗。
「それにしてもまさかあの大坂城を攻めることになるとは思わなんだ」
「源次郎が?」
「愚か者ですな」お屋形様、泣きそう。
#真田丸 pic.twitter.com/45e69sUbzn
— ゆずず (@yuzu0905) 2016年11月6日
涙目が止まらないショック状態のお館様。
(すごく可哀想)
お屋形様が政宗から信繁の名前を聞いてハッとした顔。他の人も言ってたけど、直江様がお屋形様の為を思って伝えていなかったのかな。#真田丸 #上杉主従 #直江兼続 pic.twitter.com/ACr4tBKwbL
— アレサ@真田丸専用 (@naoekanetsugu5) 2016年11月6日
景勝様のセコム直江こと直江兼続(キャスト:村上新悟さん)は伊達政宗の事が大嫌いだったそうです。↑お館様に衝撃を与える無神経さも嫌いだったかもw
だけど伊達政宗は真田幸村(キャスト:堺雅人さん)を「愚か者」と言いながら、内心は(源次郎、やるなぁ)と思ってたのでは?かつて「わしだって 戦国の世に生まれたからには 何万という大軍を率いて敵を蹴散らしたい」と源次郎信繁に言っていた政宗。
これ大坂の陣で実際に敵を蹴散らすのは信繁の方になる流れなのよね。政宗の装束が「赤備え」なのも象徴的。 #真田丸 pic.twitter.com/yOSlIcUPON
— キヨソネ 或いは KYは静かに眠りたい (@kysn) 2016年6月19日
馬鹿だなぁ、と言いながらも自分が出来なかった天下人との対決をあっぱれと思ったのでは?
羨ましいと思ったのでは?
伊達政宗と真田源次郎幸村は慶長20年(1615年)5月6日、大阪夏の陣「道明寺の戦い、誉田の戦い」にて敵として再会、そして永遠の別れをします。
伝説となった真田幸村
大坂の陣にて華々しい戦果をあげた真田幸村は「日の本一の兵(ひのもといちのつわもの)」として伝説の英雄となります。
伊達政宗とその重臣・片倉景綱と片倉重長父子は大坂の陣の後、密かに真田幸村の子供達に援助の手を差し伸べます。
豊臣の世では秀吉に服従し、家臣であった諸侯。伊達政宗、島津忠恒、黒田長政はじめ「真田幸村すごい!」「日の本一の兵(ひのもといちのつわもの)」と広めたのは他ならない徳川方に付いた武将達だったのです。徳川家康さえ・・
な!?島津忠恒が残した『三度目に真田も討死にて候。【真田日本一の兵】古よりの物語にもこれなき由。徳川方、半分敗北。惣別これのみ申す事に候。』の【真田日の本一の兵】記述を上杉景勝に変えたのか・・・これは面白いw#真田丸 pic.twitter.com/nMppLLU0rx
— はなたろう (@hana_taro2014) 2016年11月6日
それは自らは出来なかった「義」を貫いた真田幸村への心からの賞賛だったに違いありません。
源次郎くんと政宗くんは同い年なのに正反対なんだ。
国衆の次男坊と一国の領主、兄弟仲、価値観…そして、いま藍色を着ている源次郎と赤を着る政宗が、後に赤備えと紫の陣羽織姿で出逢うことになるかと思うと、ぐっとくるものがある#真田丸 pic.twitter.com/Y7tcCzzaGL
— かおる@真田兄弟推し (@sakyo_asc) 2016年6月20日
↑秀吉の陣羽織も凄いですが伊達政宗の陣羽織も凄い・・さすが伊達男の語源。現代にあるカラフルな色合いは戦国時代から既にあったんですね。その配色の見事さに舌を巻きます。
政宗さまに愚か者と呼ばれたいーっっ #真田丸 #丸絵 pic.twitter.com/OaIGAT1wZj
— ラテ (@latteoisi) 2016年11月6日
伊達政宗は三代将軍家光の代まで生き、戦国時代の話が好きな家光に「伊達の親父殿」と呼ばれ尊敬されたといいます。晩年には真田信之と同じく戦国の生き字引として徳川の若い侍たちに尊敬され、徳川幕府の重鎮となった伊達政宗。
本当は真田幸村の生き方を「あっぱれ!」と想い、伝説の英雄となった幸村(信繁)を羨ましく思っていたのかもしれません。
大坂冬の陣後の大坂夏の陣では、伊達家の精鋭と真田幸村軍が激突。最後まで見逃せない真田丸です!
北条氏政と彼の一縷の望みを盛大に裏切る伊達政宗を描きました。#真田丸 #丸絵 pic.twitter.com/g06rVqjP2n
— オカノヨータ (@yoztube) 2016年6月25日