【ネタバレあり】登場人物紹介

毛利勝永の最期

2016/12/21



真田丸の戦いではかんぬきに玉を命中させ、その姿がかっこいいと評判になった大坂五人衆の毛利勝永。キャストは岡本健一さん。毛利勝永の生涯と最期は?

毛利勝永の生涯


毛利勝永(もうりかつなが)は毛利という姓で中国地方の大大名・毛利家出身と勘違いしますが、もともとは森という姓で尾張出身です。勝永の父・勝信が豊臣秀吉の命により毛利姓に改姓し、 毛利勝永(もうりかつなが)となります。毛利吉政が正式名といわれます。(もり→もうり って・・汗)

 

尾張出身で森なので真田丸でも出てきた森長可や、 信長の小姓・森蘭丸と関係があるのか調べましたが結局わかりませんでした。 他に森姓から毛利姓にかえた人達がいますが、そちらはおそらく同族と思われます。

 

毛利勝永は天正5年(1577年)生まれ。 永禄10年(1567年)生まれの信繁より10歳 若いですね。 お父さんの毛利勝信は早くから秀吉の家臣で、黄母衣七騎衆の1人でした。 天正15年に勝信は豊前国小倉6万石を与えられ大名となりました。この時毛利勝永にも1万石が与えられたので毛利備前守は10歳にして大名でした。

 

豊臣政権下では毛利勝永はまだ幼いのであまり活躍していませんが、末期の朝鮮出兵には従軍して戦功もたてた様です。秀吉が亡くなる時には信繁がもらえなかった、豊臣秀吉の形見分けの品、備前福岡派の「貞真の刀」も拝領しました。


慶長5年(1600年)の関が原の戦いでは西軍に父と共に参戦、関ヶ原の戦いの前哨戦となる伏見城の戦いで九州にいた父の代わりに戦い武功をあげました。しかし九州の領地豊前国の小倉城を東軍の黒田家に奪われて浪人となってしまいます。

 

勝永の嫡男・毛利勝家

大坂の陣までの14年間は土佐の山内家に父や家族と共に暮らしています。初代藩主山内一豊は父・毛利勝信の部下であったことから、厚遇され暮らしていましたが、豊臣秀頼の召集を受け土佐を脱出し大阪城に入場しました。

 

真田幸村(信繁)が嫡男大助(幸昌)を同行させたのと同じく、勝永も嫡男毛利勝家を同行させて一緒に戦っています。真田丸48話「引鉄」で大坂冬の陣のあとの徳川との和睦のひととき、牢人衆の家族達が大坂城にそれぞれ訪ねてくるシーンがありました。


毛利勝永のシーンでは奥様らしき方と息子・毛利勝家らしき人と楽しく会話する勝永の姿が。「なかなかいい働きであった」と息子を褒めていますね。

 

毛利勝永の妻は大坂の陣に入城前に「残る者が心配なら私達は一命を絶ちましょう」と送り出した人。毛利勝永の妻の話は美談として戦前の教科書にも載っていたそうです。

 

大河ドラマ真田丸での毛利勝永

毛利勝永キャストは元男闘呼組メンバーの岡本健一さん。テレビドラマでの出演は最近あまりされていなかったので10代、20代の若い方は「えっ、あのかっこいい人、誰?」と初めて知った方も多かった様です。岡本健一さんの息子さんはジャニーズ事務所の「Hey! Say! JUMP 」岡本圭人さんです。

⇒ 毛利勝永役は岡本健一さん

初登場は男闘呼組同窓会

真田丸初登場シーンはなんと小早川秀秋が見た白昼夢の生霊だった毛利勝永さん。

このシーンで同じく元男闘呼組メンバー、宇喜多秀家役の高橋和也さんと共演を果たされました。元男闘呼組ファンには想定外の嬉しいシーンとなりました

 

⇒ 小早川秀秋の白昼夢

 

真田幸村を待ち受ける

そして九度山を脱出した真田幸村が大坂城に入ると、既に入城していた毛利勝永(キャスト:岡本健一さん)と後藤又兵衛(キャスト:哀川翔さん)が真田幸村(キャスト:堺雅人さん)を値踏みするように見つめる・・


元アイドル、現在もジャニーズ事務所に所属されている岡本健一さん、40代になってもほんとかっこいいですね!女性達の心を早くも掴んだ毛利勝永。

真田幸村と毛利勝永と後藤又兵衛

部屋割りの件で幸村に一人部屋は不公平だと詰め寄る後藤又兵衛。

毛利勝永:「俺も1人部屋だ」

後藤又兵衛:「!」


後藤又兵衛と毛利勝永、喧嘩になりそうになり何故か真田幸村がなだめる役にw


ダチョウ倶楽部さんですね・・

まず毛利勝永が味方に

大坂冬の陣にて真田幸村が推める「打って出る策」と消極的な 「籠城策」に分かれた軍議では、幸村の必死の説得により、真っ先に幸村の「打って出る策」に賛同し、力強い味方に

 

勝永:「俺はおのれの力をためしてみたかった。それだけだ」


関ヶ原の戦いでは若いながら伏見城攻略で戦功を立てましたが、皮肉にも留守にしていた九州の領地を奪われ牢人に。真田幸村(信繁)と同じくずっと忍従の日々を過ごしていたのでしょうか?14年後の大坂の陣に参陣し「自分の力を試してみたかったと」語る勝永・・


毛利勝永、彼の想いは「おのれの力をためしてみたかった」という大坂五人衆の中で一番単純かつ純粋なこと。そして真田丸のドラマが進む中、幸村を除いて言えば牢人衆の中で一番冷静な目で状況を判断しています。武将の目を持つ隠れた名将・・・

幸村に時々アドバイスする勝永


「大阪城内に間者がいるのではないか?」「考えろ!どうすれば勝てるか考えるんだ!」他の五人衆とは違う目線で幸村に問いかけ、サポートします。

真田丸の戦いでかんぬきを

第45話「完封」の真田丸の戦いでは毛利勝永は北の守備を任されていましたが、南の真田丸に来て「お手並み拝見!」と見物に(笑)しばらく櫓で幸村達の戦いを静観していましたが、カンヌキが開かず徳川軍の侵入を許した場面ではカンヌキを撃ち抜くという神業を披露。

 

毛利勝永さん、美味しいところを持っていく♪

塙団右衛門の夜討ちでは二刀流を披露。

すご~い!毛利勝永は剣技も冴える!!

 

俺だけ誘われていない


大坂夏の陣では真田幸村と後藤又兵衛が徳川方から誘われていたことを知り「なんで俺には声がかからないんだ!」と怒る毛利勝永(笑)

 

この3人のやり取りももう見れないんですね・・・

毛利勝永の最期

慶長20年(1615年)5月8日、真田幸村が散った翌日。大坂城に撤収していた毛利勝永は豊臣秀頼の最後を見届けた後に嫡男・毛利勝家と弟と共に自分達も矢倉で命運付き果てたといいます。享年37歳。

真田丸での毛利勝永の最期

真田丸最終話「無題」では毛利勝永の最期はどの様に描かれるのでしょうか?慶長20年(1615年)5月7日、天王寺口の戦いでは毛利勝永は無双状態・・獅子奮迅の働きを見せます。真田幸村が散った後も勝永軍は態勢を維持して大坂城に戻ります。そして・・

 

大坂城五人衆の中では燃え上がる大坂城のもと、最期まで豊臣秀頼に付き従ったのは毛利勝永彼だけですね。茶々と秀頼そして真田大助の最期も見届けるのでしょうか?なんて悲しい・・


真田丸では結局毛利勝永の最期ははっきりとは描かれませんでしたね。真田幸村とは「家康の陣で待っている!」と勝永が言い、別れたのが最後でした。

 

そして毛利勝永は獅子奮迅の働きを見せ、徳川の武将達をなぎ倒して行ったのでした。

 

大坂の陣では幸村の名声に隠れたけれど

大坂の陣では真田幸村(信繁)、後藤又兵衛、明石全登、長宗我部盛親と共に「大坂城の五人衆」と呼ばれました。

 

大坂の陣での毛利勝永(もうりかつなが)の采配ぶりは際立っていたようで、敵方の武将の賞賛の様子や逸話が真田信繁と共に書物に書かれています。幸村の名声に隠れた形になっていますが、武将としては毛利勝永の方が上ではないか?毛利勝永は能力値最強では?と評価は年々上がってきています。


ネット上では戦国無双5、信長の野望など、有名ゲームに毛利勝永がキャラクターとして出てくる日も近いのではと言われています。その時は能力値最強?(・▽・*)毛利勝永のイケメンキャラ絵もぜひ見たいです!もちろん岡本健一さん似でね!

 

大坂夏の陣、冬の陣ともに信繁と共同戦線をはる場面がありそうです。真田丸ではどう描かれるでしょうか?

 

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最後までお読み頂きありがとうございました!

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