【ネタバレあり】登場人物紹介

【ネタバレあり】真田信繁と伊達政宗の不思議な縁

2016/12/09

真田丸の主人公、真田信繁(俳優:堺雅人さん)は日の本一の兵(ひのもといちのつわもの)と讃えられた戦国のヒーロー。

 

一方、伊達政宗は名高い東北の大大名。

 

今回はふたりの不思議な縁(えにし)のお話です。

 

伊達政宗はわずか16歳で伊達家の家督を継ぎ、破竹の勢いで東北の所領を増やしていきました。しかし生まれた時期が遅かった。豊臣秀吉が惣無事令(大名同士争うことを禁止した)を発布し、 戦国の世は一旦終止符がうたれてしまいました。遅くにゲームを開始して全国制覇を先に他の人にされてしまった感じでしょうか?

なんだかスッキリしない立場に置かれた「遅れてきた戦国大名」として名高い伊達政宗。しかしその後荒ぶることなく、無事お家を存続させたあっぱれな武将です。

 

信繁&信幸兄弟と同世代の伊達政宗。

真田丸18話「上洛」で兄・信幸が言った言葉。

 

「源次郎(信繁)、軍場で暴れまくる日はもう来ないということか?」
「われらは生まれてくるのがいささか遅すぎたかもしれんな」

 

という言葉を思い出します。

 

秀吉が亡くなったあと家康が台頭し、関ヶ原の戦いが勃発。 関ヶ原の戦いに勝利した家康は徳川幕府を開きます。そして関ヶ原の戦いの約15年後、大坂の陣が起こります。

 

真田信繁と伊達政宗。
ふたりは一度だけ戦場で相まみえます。

 

戦場で会ったのはたった一度だけ。

しかしエピソードを調べていると、ふたりの間には不思議な縁とふたりのシンパシーを感じずにはいられないのです。

 

今回、真田丸の終盤のネタバレになりますので、 ネタバレが嫌な方はこれ以降は読まないで下さい、ゴメンナサイ。

 

【ネタバレ注意】
慶長20年(1615年)5月6日。
信繁が戦場で散る一日前の出来事です。場所は大坂の南、道明寺というところ。

 

徳川方の東軍の先手を務めたのが伊達政宗。 伊達軍1万の兵士の先陣にいたのは政宗の重臣、片倉重長。 現代でも片倉小十郎として歴史ファンに知られる片倉景綱の嫡男です。 (小十郎は代々受け継がれる名前とされたので、親子どちらも小十郎です)

 

伊達政宗軍は豊臣方の武将を次々と討ち取っていきますが、 突如として現れる赤揃えの真田信繁軍。 片倉小十郎重長は政宗の精鋭軍、騎馬鉄砲隊を率い信繁軍に迫ります。 騎馬鉄砲隊とは騎馬に乗りながら、馬上から鉄砲を打つという恐ろしい部隊。 関ヶ原以前には無かった、その時代最新の、そして戦国最後、最強の部隊です。

 

硝煙であたりが見えないくらい真田信繁の軍に鉄砲を撃ちこみますが、 真田軍は片倉軍を引き付け、互いの軍が間近に迫ってから反撃を開始、 また伏兵が片倉軍の側面から突き、片倉軍に壊滅的な打撃を与えました。 その戦法は上田合戦や真田丸の戦いでも見る、真田家の戦法ですね。

 

片倉小十郎重長は自分の軍が崩れかかった時、退却を選ばず馬を捨て、 自らの刀で鬼神のごとく真田の兵たちを討ち取っていきます。よほど悔しかったのでしょうね。 その戦いで「鬼の小十郎」と呼ばれる事となりました。 しかし大将としてあるまじき行為に、後で父・片倉景綱にこっぴどく叱責を受けたそうです。

 

伊達政宗は状況を判断し、全軍退却を指示します。 それをみた真田信繁は「関東総百万と候へ男はひとりもなく候」とからかったそうです。 伊達軍は真田と戦う半日も前、真夜中と言っていい早朝から豊臣方と戦ってたので、退却もしょうがないと思いますが(;´∀`)

 

ちなみにからかうという口撃は攻撃のひとつで、どの戦いにおいても敵を翻弄、調略、混乱させるために使われる手法です。 そうからかいながらも信繁が伊達政宗と片倉重長に一目をおいたのはその後の行動でわかります。

 

そして伊達政宗と片倉景綱、重長親子もまた、自分たちの精鋭部隊「騎馬鉄砲隊」を3000人という少数で壊滅の追い込んだ真田信繁を畏怖したのは想像に難くない事です。

 

大坂の陣は大坂城が落城、豊臣家が滅んで終わります。

 

しかし驚くべき事実(史実)が残ります。

 

真田信繁の遺児たちが伊達家に匿われ、仙台で無事成人、その後も家系が現代まで続いているということ。伊達家、片倉家主従が危険をかえりみず、縁もゆかりもない戦場でいちど敵として相まみえた真田信繁の遺児達を匿った(かくまった)のです。
※)豊臣政権下の武家屋敷で顔見知りだった説もあります。

 

一説では真田信繁と伊達政宗が戦った夜、片倉重長の陣にひとりの美しい少女があらわれます。 その少女の名前は阿梅(おうめ)。真田信繁の三女、お梅の事です。 ちなみに阿梅はきりちゃんの娘(母:高梨内記の娘)といわれています(・∀・)

信繁(幸村)が片倉重長の戦いぶりをみとめ、大事な娘を託したとされるエピソードです。

 

阿梅(おうめ)はその後、片倉重長の継室となります。

 

また阿梅(おうめ)の縁からか、信繁7女阿昌蒲(母:大谷吉継の娘)、信繁の次男大八(母:大谷吉継の娘)も仙台で匿われて育てられました。 同じ父でも母が違うと他人のようになりますが、信繁の子どもたちは九度山で一緒に育ったので兄弟の縁が深かったと思われます。

 

成人後、阿昌蒲は政宗の正室・愛姫の甥、田村定広に嫁ぎ、 次男大八の家系は仙台真田家として現在も続いています。 現在の仙台真田家当主は13代真田徹さんです。大八は成人すると守信と名乗り、仙台藩士として一生をまっとうしました。

 

大八が男子と言う事で伊達家や片倉家は成人させるのに苦労した様です。 幕府から詰問状が届いた折には、大八は京で石つぶてにあたり死んだことにしたとか、 信繁の叔父、真田信尹の孫だと幕府には説明したとのエピソードが伝えられています。

 

ちなみに阿梅(おうめ)が片倉重長の妻になる時は、小山田茂誠が養女に迎えて嫁いだという話も伝わっています。

 

伊達家や片倉家の苦労もしのばれますが、影で信尹叔父上と茂誠兄が動いている・・( ;∀;)! 真田丸ファンとしてはそこも感動です。

 

たった一度、戦場で相まみえた信繁と伊達政宗、片倉重長。お互いが認め合い、シンパシーを感じたからこそ、信繁は子を託し、伊達&片倉家は危険をかえりみず、信繁(幸村)の子を匿った(かくまった)のではないでしょうか。

武将達の心に触れれる清々しい美談ですね。

今の日本に失われつつある心や信念・・・。

もう一度、取り戻せないでしょうか。
信繁(真田幸村)と伊達政宗は永禄10年(1567年)生まれで同い年。大坂の陣は信繁の人生最後の一年となりますので、年齢で言えばアラフィフの世代。赤揃えで髭をはやした堺雅人さんのお姿はとても素敵ですが、伊達政宗も信繁のライバルとしてカッコよく、登場して欲しい♪片倉重長も登場するのか心配ですが、スルーしないで欲しい( ;∀;)

 

真田丸の後半、楽しみにしているエピソードです。

 

真田丸の伊達政宗と片倉景綱のキャストが決まりました(・∀・)こちらもあわせてお読み下さい♪

⇒ 【決定】伊達政宗のキャストに長谷川朝晴さん

⇒ 片倉小十郎景綱にヨシダ朝さん

 

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