本田正信役の近藤正臣さん
2016/11/08
徳川家康の重臣 本多正信。
真田丸では家康の一番の側近であり、ブレーンとして描かれています。家康くんが情緒不安定になった時にも正信がフォロー。阿茶局と共に家康くんの精神面も支えます。
真田丸の最初の頃のシーンですが、二人の関係が一番わかりやすいシーンかも。
家康「ワシはどうすれば良い?」
正信「それは殿がどうなされたいかによりますろぅ」
家康「生き延びられればそれで十分じゃ」
家康「わしはどうすれば良い?」
正信「それは殿がどうなされたいかによりますろう」
家康「生き延びられればそれで十分じゃ」
この後ふたりでにこにこするの俺得でしかない #真田丸 pic.twitter.com/VYrfabVC0A— り? (@mtnmanm) 2016年1月18日
この頃から徳川家は急成長します。
武田家滅亡により旧武田家臣を引き継ぎ、また織田信長の後継者、 豊臣秀吉を小牧長久手の戦いで打ち負かします。
その後、豊臣秀吉と和睦し、実質豊臣政権のナンバー2として東日本の武将達の押さえとなる徳川家康。
真田家の生涯の敵、徳川家康を支える寵臣・本田正信。
真田丸キャスト紹介。
本多正信役は近藤正臣(こんどうまさおみ)さんです。
近藤正臣さんは1942年京都東山生まれ、お母様は元祇園の芸妓さん。 高校卒業後、エキストラで俳優業をされていましたが、1971年にTBSで放送された 「柔道一直線」の主人公(桜木健一)のライバル・結城真吾役で人気が出て一躍有名になられます。
テレビの昔なつかしのドラマ特集なんかでご覧になられた方いませんか? 足でピアノを弾く映像。 あれが結城真吾(近藤正臣さん)の足ピアノ「柔道一直線」のワンシーン です。
お若い頃はパッパ昌幸・草刈正雄さんと同じくイケメンで、 若い女性に人気のアイドル的俳優さんでした。 その後40年以上テレビを中心に第一線で活躍。
お若い時女性に人気で、その後経験を積まれ、万人に認められる味のある俳優さんになる。 草刈さんも近藤さんも凄いなぁと思います(人´ω`*)♡
NHK大河ドラマは真田丸で10作目。
「国盗り物語(1973年)」では明智光秀 役。 「黄金の日日(1978年)」 石田三成 役をされています。 「徳川家康(1983年)」では家康の父・ 松平広忠 役をされています。
私が印象に残っているのは「龍馬伝(2010年)」の 山内容堂 役です。 山内容堂 は土佐の藩主、竜馬や土佐勤皇党のお殿様にあたります。 土佐の山内家の家臣は、上士 下士に別れており、竜馬たちは下士でした。 下士は山内家が土佐に入る前の藩主・長宗我部家の旧家臣で凄い差別に苦しんでおりました。 藩主・山内容堂は竜馬達にとっては雲の上の存在です。
竜馬の幼馴染達が多く入党している土佐勤皇党を弾圧し、 処刑しますので悪役のイメージでしたが、何度か繰り返し見るうちに近藤正臣さんの演技に惹かれ、 山内容堂もひとりの人間として苦しんでいる事がわかり心に残る登場人物の一人となりました。
若い頃の近藤正臣さんはワザとクセのある話し方をされていたと思います。 たしか片岡鶴太郎さんが物真似されていましたね。 今はもうそれはされていなくて、ただただ存在感のある言葉一つにも深い意味を感じさせられる俳優さん。
今年三月まで放送されていたNHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」でも、優しいあさの義父 白岡正吉 役をされていましたね。義父さんが亡くなられて悲しかったですけど、すぐ本多正信が見れて嬉しかったです。
真田丸、本多正信の見せ場は後半に来ると思いますが、
それまでも徳川家康のそばには近藤さんの本多正信がいてほしい。
猛将本多忠勝と知将本多正信との対比が楽しいです。
近藤正臣さん、これからも本多正信楽しみにしています!
-真田丸キャスト紹介-
【近藤正臣さんプロフィール】
配役:本多正信
本名:川口 正臣
生年月日:1942年(昭和17年)2月5日
出身地:京都
血液型:O型
学歴:京都府立洛東高等学校卒業
事務所:シーズ・マネージメント
趣味:釣り、陶芸。
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⇒ 真田丸登場人物紹介