歴女日々ブログ♪

滋賀県と縁の深い石田三成。

2016/09/09



なんか変なCM流れていますね(笑) 武将といえばみつなり~♪1560(いち、ご、ろく、ぜろ)! 滋賀県生ま~れ♪Σヽ(`д´;)ノ アタマニカシガコビリツク~

 

真田丸では4月以降に登場するという石田三成。 豊臣秀吉のおぼえめでたい豊臣家の家臣、
関が原の戦いでは西軍の実質の大将として家康と戦います。

 

真田丸で石田三成役をするのは山本耕史(やまもとこうじ)さん。 三谷幸喜さん脚本の大河ドラマ「新撰組!」では鬼の副長・土方歳三役をされました。 今回の石田三成役、どのように演じてくれますでしょうか?( ' - ' *)

⇒ 石田三成役は山本耕史さん

真田丸の武将の性格が、皆さんとても個性的ですよね。 石田三成は今までのイメージでは悪役になりがちですが、 今回は「良い石田三成」を演じていただければいいんですが♪ 滋賀県のイメージキャラクターですし( ' - ' *)

 

さてさて、武将といえばみつなり~♪滋賀県生ま~れ♪ 滋賀県と石田三成がどれくらい縁が深いか、 彼の生涯を追って調べてみました。

 

【生まれたのは滋賀県】
1560年(永禄3年)、近江国坂田郡石田村(現在の滋賀県長浜市石田町)で生まれる。
幼名は佐吉(さきち)。

 

【滋賀県で見出され、羽柴秀吉に仕える】
1574年(天正2年)あたりから長浜城主(現在の滋賀県長浜市)
羽柴秀吉に仕える。

 

【仕えたきっかけは滋賀県】
仕えたきっかけは鷹狩りの帰りに伊吹山の観音寺(現在の滋賀県米原市)に立ち寄った秀吉が、 寺小姓に茶を所望した際に寺小姓は最初は大き目の茶碗にぬるめの茶を、 次に一杯目より少し小さい茶碗にやや熱めの茶を、最後小さい茶碗に熱い茶を出した。 まずぬるめの茶で喉の渇きをいやし、後で熱い茶を充分味わわせようとした、 寺小姓の細やかな気配りに感心した秀吉は彼を家来として採用した。

 

それが後の石田三成であるという話が伝わっています。

 

【治めた領地は滋賀県】
秀吉のもと忠実に任務を務め、数々の功績をあげ、 1595年(文禄4年)近江佐和山(現在の滋賀県彦根市)20万石の城主となる。

 

佐和山は名神高速上りで彦根を通過するあたりで左手側に見えます(・▽・*)

 

【関が原の合戦は】
隣の県、岐阜県不破郡関ケ原町。

惜しい。

滋賀県大津の瀬田の唐橋が決戦の地なら勝っていたかも?

 

大津まで徳川軍が西にきたら、豊臣恩顧の大名が動き出し戦闘はわからなくなった。 また秀頼の出陣により情勢は変わっていたという説を読んだ事があります。 瀬田の唐橋は西暦671年の壬申の乱や1221年の承久の乱など、 数々の戦いの決戦の地となっています。

 

【伊吹山に逃走】
関が原の戦いに敗れた石田三成は、 自分の領地である滋賀県古橋村(現在滋賀県長浜市木之本町古橋)に身を潜めました。

 

石田三成が身を潜めた大蛇(おとち)の岩窟は現在も残っています。

 

【その後処刑】
三成の供養碑がもとの領地佐和山(滋賀県彦根市)の龍潭寺(りゅうたんじ)にあります。


生まれたところ、秀吉に見出されたところ、領地も滋賀県。 関が原の戦い後、逃げ帰ったのも滋賀県(TдT) 石田三成はほんとに滋賀県と縁が深い武将ですね。

 

石田三成のあと、佐和山を治めたのは家康譜代の井伊家。 佐和山城は廃城して彦根城を築城、そちらへ移ってしまいます。

 

来年の大河ドラマは「おんな城主 直虎」。 彦根藩の藩祖、井伊直政を育てた井伊直虎が主人公。

 

滋賀は今年も来年も観光客で賑わいそうですね。 らぶりぃの滋賀県でのおすすめは安土城天主信長の館です~。 (所在:滋賀県近江八幡市安土町桑実寺800番地) 原寸大の安土城の復元天守があります♪ 滋賀県は地味な県ですが(失礼!) 琵琶湖を中心に見所いっぱいの県です。1度遊びに行って下さいねヾ(o゚ω゚o)ノ゙

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⇒ 真田丸登場人物&キャスト紹介

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